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ビッキンダーズ海に唄う

常民一座ビッキンダーズ

2020年にリリースした「ビッキンダーズ山に唄う」に続く第2弾。
日本の民謡の大部分は「常民」と呼ばれる名も無き人々によって生み出され受け継がれてきました。「常民」は里山や田畑、海や川で働いて生活していた人々で、日々の厳しい労働を歌うことによって乗り越えていました。
今回は海にまつわる常民のうた(民謡)をあつめ、それが歌われていた環境、常民の身体、声がどういったものであるのか、そしてそのうたが現代のわれわれにもたらす情緒がどんなものかを知るために、うたを海に還すことにしました。

撮影場所:千葉県南房総市 岩井海岸、西ヶ崎

1、夜明け

●綱打ち囃し(鹿児島)
唄:ビッキンダーズ
鮪や鰤漁に使われる、定置網の芯綱を縒る時に唄われた。長く頑丈な綱をつくるためには、集中力と程よい力加減、そして何より全員の息を合わせることが必要不可欠なので、こうして唄うことで作業の律動を合わせたのだ。音頭取りが謡った旋律に、ほかの人たちが応答するという形の唄だが、応答の旋律は非常に即興性に富んでいて、偶発的にハーモニーが生まれる。

イーヤーレーソーライ (イーヤーレーソーライ)
イーヤー綱打ちゃ朝だよ (イーヤー朝でなければ)
イーヤー綱打てなサ (イーヤ綱打てなサ)
イーヤーレーソーライ (イーヤーレーソーライ)

イーヤー惚れちゃ困る (イーヤー他国の人にゃ)
イーヤー末ではカラスの (イーヤー泣き別れサ)
イーヤー泣き別れサ

イーヤー薩摩西郷さんは (イーヤー仏か神か)
イーヤー姿も見せずに (イーヤー戦すらさ)
イーヤー戦すらさ

イーヤー戦する身と (イーヤーレーソーライ)
イーヤー空飛ぶ鳥は (イーヤーどこのいずこで)
イーヤー果てるやらサ (イーヤー果てるやらサ)
イーヤーレーソーライ (イーヤーレーソーライ)


2、磯のしごと

●汐替節(鹿児島)
唄:日下
汐替えとは、鰹漁の餌とされていたキビナゴを生かしておくため、樽の中の海水を汲み替える作業。「汐替節」は作業の元気づけ、眠気覚ましに唄われたもの。浜仕事をする女たちもこの歌を真似て歌っていたと思われる。3番は日下座員の作。

アー汐は替ゆいまい 夜は明けるまい
  うちのかかあたちゃ起きるまい

アー汐の二番替え 気色の悪さ
  誰が起きたか憎ござる

アー若者【にせ】が悪いかや 樽【たい】の中ン雑魚が
  上を仰向いて【おないて】目を交わす

アー沖を見やれば 荒波しぶき
  明日は帰れと背を向ける 


●海女唄(山口)
唄:田村
この唄の源流は「ヨイヤナ」と呼ばれる海の祝唄のうち、後ろに“ションガエ”という囃し詞のつく「ションガエ節」と同じ系統。
海女たちが漁を終えて浜で火を焚き、冷えた身体を温めていた際に唄われていたと言われている。
元来は仕事の唄というより祝いの場で唄われていたものを、海の上での作業への景気づけに唄われていたのではないかという説もある。

昔の人の優しさは
扇の要で池を掘り
一もつ刈りては二千石
三もつ四もつは数知れず
(アヨヤサノヨヤサト)

石に積れば富士の山
酒に造れば泉酒
(アヨヤサノヨヤサト)

とくと参れよこちの客ションガエー
(ハーサンゴクイチジャワーヨカホイ)

●岩海苔取唄(静岡)
唄ビッキンダーズ
波の荒い海岸の、岩石などに付着した岩海苔をとるときに唄われた。伊東海岸はこうした海藻や魚貝類の採取が盛んで、漁師や海女が仕事の暇に取っていた。歌詞は七七七五調の甚句系(江戸時代後期に流行った)と言われる形で、ビッキンダーズもかつての常民たちに倣い3番4番の歌詞をつくって遊んでみた。

(ハーヤッチョメヤッチョメヤッチョメナット)
伊東新井の荒浜そだち 
波も荒いがアーイヨーエ気も荒い
(ハーヤッチョメヤッチョメヤッチョメナ 
コラ荒波立つから かいこめ かいこめ)

竜宮(りゅうぐん)参りて大敷(おおしきょ)見れば しめる船頭さんの程のよさ

沖で女房を想いはすまい 可愛いあの娘が忘られぬ

次に来るときゃ土産は二つ つげの木櫛に赤いべべ


3、浜の夕暮れ

●烏浜アイヤ(福島)
唄:日下
港町を中心に酒宴の席で謡われた。「ハイヤ節」の発祥の九州では、楽器や踊りも入り賑やかだが、相馬の「烏浜アイヤ」はゆったりとしたテンポでのびのびと、どこか哀愁を感じさせる。この北国らしい音の中では、お酒の酔い方も西とは変わってきそうだ。

アイヤ可愛いや (コラショ) 今朝出た舟はエ 
どこの港に (コラショ) アノサ着くのやら (アーヨイトサヨイトサ)

沖のどなかは水色変わる 船頭出てみろ大鰯

沖に見ゆるは丸やの舟か 丸にやの字の帆が見ゆる 


●斎太郎節~気仙坂(宮城・岩手)
唄:佐藤
気仙(けせん)とは三陸沿岸の地名、現在の岩手県と宮城県の県境付近一帯のこと。江戸時代の銭座(貨幣の鋳造所)で歌われていた「銭吹き唄」をもととしており、転じて祝い唄としても歌われるようになった。威勢の良い伸びやかな旋律は様々な仕事の歌にも転用され、その一つが東北を代表する海の民謡「斎太郎節」である。

松島の サーヨ 瑞巌寺ほどの 寺もない トーエ

気仙坂 ヤーハーエー 七坂 八坂 九(ここ)の坂

十坂目に ヤーハーエー 鉋(かんな)をかけて平めた

それはうそよ ヤーハーエー 御人足かけて平めた
ヨイトソーリャ サノナーヨーホーエー


●音戸の舟唄(広島)
唄:田村
音戸の瀬戸は、院政時代の頃に平清盛によって切り開かれた場所として知られる。
流れが速く険しいこの瀬戸を行き来する漁夫たちが漁に向かう時に唄われていたとされるのが、この「音戸の舟唄」である。
漁への期待、厳しい道のりへの不安、様々な思いをさざ波に乗せて情緒豊かに唄っている。

(アードッコイドッコイ)
イヤーレ 船頭可哀や 音戸の瀬戸でヨ
一丈五尺の ヤーレノー 櫓がしわるヨ

イヤーレ 泣いてくれるな 出船の時はヨ
沖で櫓櫂の ヤーレノー 手が渋るヨ

イヤーレ 浮いた鴎の 夫婦の仲をヨ
情け知らずの ヤーレノー 伝馬船ヨ


4、海への祈り

●獅子の泣き唄(長崎)
唄:佐藤
長崎県平戸島の西海岸にある獅子町に伝わる唄で、歌詞の一節を長く引き伸ばして物悲しく歌うところから「泣き唄」の名がついたとされる。漁期にこの島を訪れる漁師たちと地元の娘たちの逢瀬と別れを唄った詩が多いことも「泣き」の所以かもしれない。

獅子の泣き唄ネ 仏の前でネ
ひとつあげれば 供養になる

潮は半ら(なから)満ちネ 月ゃ八つ下るネ
心細さよ 鳥の声

背戸の潮ざやネ 波打つ際にネ
艫艪(ともろ)押すのが 儂がさま

井戸の釣瓶のネ 短さゆえにネ
人に(水に)会わずに 苦労する

義理で離れるネ 儂ゃ義理で添うネ
人目ある故 遠ざかる

麦は熟れてくるネ 漁師ゃ帰るネ
何を頼りに 麦刈ろか


●ケセンの斎太郎(宮城)
唄:佐藤
現在「斎太郎節」として歌われている歌詞を、その旋律の原型である「気仙坂」の節にあてて歌ったオリジナル作品。民謡は本来変遷を繰り返すものだが、これは時間をさかのぼって先祖返りさせる試みであり、また東北の海への祈りでもある。

松島の サーヨ 瑞巌寺ほどの 寺もない トーエ

前は海 サーヨ 後ろは山で 小松原 トーエ

石巻 サーヨ その名も高い 日和山 トーエ

アレワエー エイトソーリャ 大漁だエー


●鯨唄-祝い目出度-(長崎)
唄:ビッキンダーズ
肥前平戸藩(長崎県)において一大産業であった捕鯨は、まさに命がけの作業であったので、賑やかな太鼓と唄と舞で、神に豊漁と身の安全を祈念した。この「祝い目出度」は他にも、婚礼の際の祝い唄へも転用された。
有名な「祝い目出度の若松様~」の歌詞に、ところどころ鯨漁特有の歌詞が入る。背美(せび)とは鯨のこと。

祝いアーーウーアーウオー エー目出度のアーヨイヤサー
若松サイヨー様じゃイヨーサーヨーヨーエー アーヨイヤサー
枝も栄える ヨイヤサー 葉も繁る ソリャーサ

竹になりたや御山の竹に 旦那栄えるしるし竹

納屋のろくろに綱繰りかけて 大背美巻くのにゃ暇もない

(アー三国一じゃ 祝うてこの船ゃ 背美の子持ちば朝がけしょ ハイヨイ)

座員による、より詳細な楽曲解説は以下のリンクよりご覧になれます。
https://drive.google.com/file/d/1vC1NfI9Ppwpzhtgamj81wFqwtH1AJad6/view?usp=sharing

Program

Total
31:34

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2020年にリリースした「ビッキンダーズ山に唄う」に続く第2弾。
日本の民謡の大部分は「常民」と呼ばれる名も無き人々によって生み出され受け継がれてきました。「常民」は里山や田畑、海や川で働いて生活していた人々で、日々の厳しい労働を歌うことによって乗り越えていました。
今回は海にまつわる常民のうた(民謡)をあつめ、それが歌われていた環境、常民の身体、声がどういったものであるのか、そしてそのうたが現代のわれわれにもたらす情緒がどんなものかを知るために、うたを海に還すことにしました。

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