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河崎純: 夜半楽/春風馬堤曲(与謝蕪村による18曲の詩劇)

小阪亜矢子

メゾソプラノ(弾き語り)とコンピューターによる新作演奏。生演奏を超える音楽体験を作るために、昔からの共演者であり現代音楽・即興演奏の先輩である河崎純氏に曲を委嘱しました。密度の濃い衝撃的な作品です。前半では与謝蕪村による、帰省する少女の足取りを描いた俳句と漢詩が、童歌、フレンチ・ロック(!)等、様々な手法で歌われ、後半ではその詩句を題材に佐藤春夫が映画のシナリオとして再構築した文章が歌われます。

「夜半楽/春風馬堤曲(与謝蕪村による18曲の詩劇)」
作曲:河崎純
テクスト:与謝蕪村、佐藤春夫
テクスト仏語訳:小阪亜矢子

大げさに言えば、演奏することで何かこの世ならざるものと繫がり、あるいは自分の様々な意識と無意識を統合する、という精神生活をしていた私にとって、感染症の問題で演奏ができなくなる事態は衝撃的だった。歌えなければ生きていても仕方がないので、少しずつものを考えた。不思議と冷静だった。これまでの生活でできなかったことを実行に移し始めた。

不便は大丈夫。だが不自由には耐えられない。「不便だ、でも不便のが便利よりだいぶいい(石川浩司『まちあわせ』)」たまの歌からこの言葉を借りて「夜2時15分のまちあわせ」と題した真夜中の配信ライヴを行った。粛々とやけくそであった。それでも私は自分を取り戻したし、他の人たちに少しの慰みを提供したようだった。

「こういう時代になって、演奏会が開けるのが当たり前でなかったことに気づいた」と、口々に言われているが、私はこうなる前から、毎回幕が開くたびに「ああ、今回も無事に最初の音が鳴ったじゃないか。それ以上何を望むのだ」と考えていた。当分、無事に最初の音が鳴ることはない。だが、それ以外の何も諦めたくない。そして再び音が鳴った時にも生き残る、とんでもない聴取体験を作りたい。その仕事は一人ではなしえないだろう。どうしたらうちで、ひとりで、ひとりじゃないことができるだろうか。

奇才・河崎純氏に作品を頼もうと思ったのと、initium ; auditoriumの話が舞い込んできたのは、ほぼ同時だった。「私じゃ思いつかないことをやって下さい」。果たして私達は一度も顔を合わせないままやりとりを重ねて、数年ぶりの共同作業をした。河崎氏の作品は怪物のように、あっという間に、私のちっぽけな希望などとうに見えないところまで進み育った。自由を得たかどうかはわからないが、この景色が見たかった。聴いて下さる方には、どうかもう一度、一緒に音楽に驚いてほしい。(小阪亜矢子)

***

この作品のテクストは近世、江戸時代の詩人、俳人、与謝蕪村の「夜半楽」におさめられた「春風馬堤曲」によるものです。
ある春の午後、奉公先の大阪から里帰りする道程にある少女のそぞろな心象風景を、それを覗き見る俳人である老蕪村が勝手になりかわって18の詩に描いたものです。蕪村は自らの俳号を「夜半亭」としていました。「夜半楽」とは雅楽等の日本音楽の「越天楽」でも用いられる「平調子」の調べ(音階)を用いる、古い中国の音楽を祖にする音楽です。
この詩を用いて、のちに大正、昭和の間に近代詩人、小説家の佐藤春夫が無声映画のシナリオ(「春風馬堤図譜」)にしました。トーキー映画が誕生する前後のことです。原作にない夢幻の夜のシーンも描かれます。一夜を故郷の田舎やで母親の隣で眠った少女が、翌日、奉公先の浪速に戻り恋人と再会する場面です。しかしこの幻想的で詩情あふれる実験映画のようなシナリオは、実際には映画として再現されるには至りませんでした。

この蕪村の「春風馬堤曲」をテクストにした作品は、だいぶ前になりますが、2011年に試みたことがありました。ナレーションと薩摩琵琶、二十絃箏、ヴァイオリンによるものでした。
ロシアの作曲家、ヴァイオリン奏者アレクセイ・アイギ氏が来日し、わたしとアイギ氏で同じ楽器編成で作曲し初演を行うという企画でした。アイギ氏の亡き父ゲンナジー・アイギ氏は詩人でした。大河ヴォルガの流域に居住する少数民族「チュヴァシ」の出身でした。ソビエト連邦時代は母語であるチュヴァシ語で詩を書くことが認められず、ロシア語で書きました。しかしそれは「正統な」ロシア詩の系譜として認められることはなく、むしろ西側諸国で認知され、タタールの雪原の農村や森の静謐と沈黙を描く詩風は「ヴォルガのマラルメ」とも称されました。同じくヴォルガ流域のタタール民族出身の女性作曲家のソフィア・グバイドゥリーナとも共作しています。
息子アレクセイ氏の曲は、父が娘(アレクセイ氏の妹)に捧げた詩集「歌のお辞儀」に曲をつけたものでした。チュヴァシの風俗を描く古い民謡の言葉を、あえてロシア語の韻文形式の四行詩にあてはめ、難解な詩風で知られるゲンナジー・アイギとしては平易な文体て翻案しました。対する私はなにをテクストに、と勘案し、日本初の口語自由詩といわれる、漢文、俳句、自由詩がまざった与謝蕪村の詩を思いつきました。日本は、母語としての言語や文字を制限されたり失ったりした歴史的な経験をもちませんが、日本語には敬語も含めそもそも多様な語りや文体が存在します。言語活動の漢文、韻文、散文という3つの文体の分裂的状況に、言語活動の現実感を感じたからです。

蕪村が生きた時代、鎖国体制といえど近世から近代へと向かう時代は、町人文化の隆盛により、武家を筆頭にした封建制度による身分制度のなかにありながら、人々がゆるやかに往来されつつあった時代ともいえます。貧しい農村に暮らす少女は、奉公に出され先端の町人文化や習慣、あるいは都市生活における恋愛(後年佐藤春夫はそれを近代的な視点で「恋愛」として描きますが、ほんとうは娼妓的な体験に近いものだったと思われます)を体験します。それらの多様な言語とともに、越境し、ときに分裂的にあるいはカオスとして存在した歌とはどんなものだったのでしょうか。

ところで、来日を数日前に控えた2011年の春のその日、大震災が発生し、氏の来日およびコンサートは中止されました。この曲もまた楽譜がだけが残る、「声なき歌」となりました。
人災なのか自然災害なのか、このたびのウィルス感染の拡大により多くのコンサートなどの催しが中止、延期を余儀なくされ、幸か不幸か私自身も活動を一時中断したこの春の真夜中、人のいなくなった近所の路地をつまずいた空き缶の音さえも街の静寂に響きわたった2011年の震災の後の計画停電の夜を思いだしながら、缶ビール片手に散歩していたとき、一通のメッセージがありました。
旧知の声楽家の小阪亜矢子さんに作曲作品の委嘱でした。考えてみれば、「声楽」とは主に西洋の言語を用い、その音楽を歌うものです。私の想像を超えるものではあると思いますが、そこには言語的な葛藤が常に存在するのだと思います。同時に異言語の響きとは常に、「新しい世界」を歌い手自身や聴き手に与え続けるものです。
故郷に帰ることなく生涯を終えるさまざまな文体を駆使した老誹諧師の歌、奉公に出て都会の振る舞いを覚えたまだあどけない貧農に帰郷する少女の歌。言文一致をへて西洋を受容しつつ近代の詩人が想像するサウンドスケープ。それらが、まるで夢の中に整理されぬままに越境し錯乱する「夢の歌」。詩人が描いた少数民族チュヴァシの農村の歌の記憶までもが、わたしのなかで鳴り響いています。歌をとおしてさまざまな言語と向かい合ってきた小阪亜矢子さんなら、このような詩人や作曲家(わたし)の妄念や妄想を体現しつつ、それらを吹き抜ける風のような少女の生命となってくださるのでは。
そのような思いで、一波で多くの生命の命がのみこまれたあの春から9年の時を経て、あらためてまったく新たな創作をおこない、声なき18の歌(詩)と、それを描いた上映されなかった無声映画シナリオに着想を得て、感染が蔓延し停滞する世界から誕生する春の息吹のような歌が生まれました。このような時期に歌を生みだすきっかけを与えてくれたinitium ; auditoriumには感謝のきもちでいっぱいです。(河崎純)

***

河崎純(音楽詩劇研究所主宰・作曲家・コントラバス奏者) 1975年東京生まれ。埼玉県蕨市在住。早稲田大学文学部卒業。音楽詩劇研究所代表。主に舞台作品の音楽監督、演出、構成、委嘱作品の作曲。演劇・ダンス・音楽劇・伝統芸能、実験的なパフォーマンスを中心にこれまで90本以上の舞台作品の音楽監督、作曲、演奏を手掛けた。「音楽詩劇研究所」では、ユーラシアン・オペラプロジェクトとしてアジア・ユーラシアの歌手やアーチストとコラボレーションをおこなう。近年は特にトルコ、ロシアでの、現代音楽や即興、ダンスなど様々なプロジェクトに主要メンバーとして参加。ロシア民謡、俗謡を歌う歌手、ロシア民謡、俗謡を歌う歌手、女優石橋幸歌手「ロシアアウトカーストの唄」では、音楽監督をつとめている。立教大学、慶應大学などで、特別講師、ゲストスピーカーに招聘、各地で音楽・演劇・詩に関するワークショップを行う。埼玉県川口市のブック・カフェ「ココシバ」にて、「河崎純月刊音楽通信リュモーチナヤ」では、世界各地の音楽や、現代の音楽を紹介するトークイベントを行う。 音楽詩劇研究所 <ユーラシアン・オペラ・プロジェクト>とは 河崎純が主宰する音楽詩劇研究所によって、2016年に始まる。東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京や国際交流基金の助成を受け、ユーラシア各地文歌手、演奏家やダンサーと現地でコラボレーションを行い、詩、口承芸能などを新たに詩的ドラマとして読み替えを行いオペラを創作。2016年より、アルメニア、ロシア、ウクライナ、ブリヤート共和国の国際演劇祭、音楽祭で詩作、上演を重ね、2018年東京で「Continental Isolation (ユーラシアの精霊たちと奏でる21世紀の「神謡集」)」。2019年より「山椒大夫」を素材に、ユーラシアン・オペラ第二弾としてカザフスタン、韓国で上演。現代アジアの「マジックリアリズム」と称される。
https://junkawasakimpdl.jimdofree.com/

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メゾソプラノ(弾き語り)とコンピューターによる新作演奏。生演奏を超える音楽体験を作るために、昔からの共演者であり現代音楽・即興演奏の先輩である河崎純氏に曲を委嘱しました。密度の濃い衝撃的な作品です。前半では与謝蕪村による、帰省する少女の足取りを描いた俳句と漢詩が、童歌、フレンチ・ロック(!)等、様々な手法で歌われ、後半ではその詩句を題材に佐藤春夫が映画のシナリオとして再構築した文章が歌われます。

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